日誌

ロンドン・パラリンピックから

ロンドン・パラリンピックから

今回は、長野パラリンピックから、夏冬合わせて通算6回目のパラリンピックの現地視察調査でしたが、とにかく、イングランドの観客の数と、その”質の高さ”に驚かされたというのが、もっとも強い印象です。

以前は、“障害者のスポーツ”などを観戦する人はあまりおらず、どの競技も観客がまばら、チケットなどもばらまくように配られていたというのが実情でした。ところが前回北京大会くらいから、事情が大きく変わり、チケットはほとんど手に入らない位の人気になってきました。

さらに北京大会の際は、あまりポピュラーでない競技では、いわゆる動員されてきている観客もいて、観戦マナーの問題も指摘されていたのですが、今回はそのようなこともなく、観客の熱気のこもった応援に、しみじみ「スポーツのおもしろさは、観客と選手の共同作業で作られる」と言うことを実感させられました。“障害者”がやっているかどうかは関係なく、“本物”の競技は、人を引きつける力があり、そして人びとを魅了するのです。

言い換えると”障害者スポーツ”としてではなく、観戦を楽しむという“文化としてのスポーツ”と、とらえてられるようになったといったらよいかもしれません。単に自国チームの応援をするのではなく、良いプレーや、ゲームの面白さを楽しもうとするその姿勢には、これからの在り方が示されたような気がしました。日本では、このような競技を目にする機会が少ないために、その本当の素晴らしさ(おもしろさ?)に、触れる機会が無いというのは残念なことです。

さて日本の選手も非常にがんばっていて、その活躍には心打たれるものがありました。一方オリンピック(金7個、国別11位)に比べ、そのメダル獲得の少なさが際立った大会(金メダル5個、国別24位)でもありました(右表参照)。もちろんメダル獲得だけが、大切なことではありませんが、この結果は「国としてのあり方が端的に表された」ものであることを、日本では認識すらされていないことが大きな問題といえるのではないかと思います。

要因としては、国としての支援の少なさとともに、一部マスコミでも指摘されているように、日本の選手の世代交代が進んでいないということもあげられます。学校でせっかく体験したスポーツを、卒業後に続ける環境が整備されていないのです。教育と福祉の連携のもとに地域で余暇やスポーツを継続するための、制度や社会に対する国民の関心も低いのが現状です。障害者(選手)に“がんばれ”というだけではなく、国としての取り組みの遅れが、まさにメダル獲得という結果となって示されたと言うことを、私たち多くの国民が認識すべきではないかと、つくづく考えさせられました。

教育(学校)と地域スポーツの連携や福祉支援制度との関係調整などの課題が、「メダル獲得数」という数字になって現れてしまったということ、さらにそのことに、ほとんど国民の関心が向いていないという二重の課題に対し、教育に関わる私たちがやるべきことは何か。今後取り組むべき課題は、多いようです。

組合ニュース2012年度第3号 2012924