被災地の情報


本学関係者による特別支援教育に関わる被災地の情報を掲載します。

被災地域における特別な教育的ニーズの情報に関する調査


被災地域における特別な教育的ニーズの情報に関する調査
(概要報告)

日程 2011年 6月4-6日
宮古市田老町から釜石までの三陸沿岸の被災地にある避難所、福祉施設、特別支援学校を回り、被災された方のお話を伺うとともに、支援者や学校関係者の方などから支援ニーズの聞き取りをおこなった。


岩手県立宮古恵風支援学校

校長、副校長、体育担当の先生からお話しを伺うとともに、子どもたちの様子を見ることができた。ここは福祉施設「はまゆり学園」「わかたけ」隣接の学校で、人里離れた高台の山の中という感じのところ位置する特別支援学校(児童生徒数約80名)である。
児童生徒や家族の安否確認などについて、震災直後は通信手段や交通手段が閉ざされたことから、難しい状況に置かれたとのこと。しかし地元出身・在住の教員などの様々なインフォーマルな情報や、交通手段に関する情報とともに、日常的な担任との関係性の構築などにより、比較的早い段階で確認が取れた。
家族や地域との日常的な関係構築などが、重要であるとの話しは、大変参考になるものであった。
本支援学校は、三陸沿岸地域の特別支援教育に関する情報拠点としての機能を有しており、被災地域の特別支援学級や障害のある児童生徒の相談支援を行っている。もともと遠隔地、小規模地域が多いことから、特別支援教育に関しても、情報ニーズは高いものがある。
本学の特別支援教育プロジェクトによる情報サイトなどからのニーズについても、必要度が高いと思われるとのことであった。
なお今後も連絡を取りながら、情報支援を進めるということを確認した。


急な訪問であったにもかかわらず、教職員の皆様にご対応いただき、また児童生徒の様子等を含め、全体的に暖かい雰囲気が感じられた。

被災地写真1
小中学部の入る旧校舎(左)と高等部の新校舎

被災地写真2
校内の様子

大槌町
町内の複数の学校が流されてしまい、現在「山田町 青少年の家を仮校舎として授業が再開され、避難場所をバスで回って、通学支援を行っているとのこと。8月には仮設校舎が建設される予定だが(子ども達は当面、そこへの移転を心待ちにしている)、現在は町内の複数の学校が、間仕切りで区切って施設を利用しながら勉強を続けている。
仮校舎の建設とともに、情報ネットなどの整備は、比較的早く整えられる可能性があり、特別支援教育に関する情報や教材を提供できるようなサイトの構築および活用は有効な支援になるものと思われた。


被災地写真3
複数の小学校の授業が行われている青少年の家

被災地写真4
青少年の家の敷地内につくられた仮設住宅の案内図

その他の地域の状況と支援ニーズ

田老地区(宮古市・旧田老町)
これまで何回も大きな津波の被害にあい、世界一の防潮堤で知られていた地区だが、街は跡形もなく流された。ただがれきの撤去は早く、一部の損傷家屋を残し、片付けが進んできている。


被災地写真5
完全に無くなってしまった市街地

被災地写真6
がれきの撤去は比較的進んでいる様子

宮古市は仮設住宅の建設取り組みも比較的早く、この地区の住民は、そのまま北部の高台にあるグリーンピ
ア三陸みやこ(旧グリーンピア田老)に移転、大きな「仮設村」(400戸)が建設された。
比較的大きなコミュニティー単位で移転が行われたため、自立的活動も進みやすいのではないかと思われるが、教育に関する情報提供は今後の重要な課題であろう。

被災地写真7
仮設住宅260戸が建設されたグリーンピア

被災地写真8
仮設集落にはマーケットも開設


宮古市街
繁華街も海側の半分が津波で損壊、現在も信号が泊まったままの状態であった。一方、流出を免れた山側の部分は、通常の生活が戻っているように見受けられた。しかし未だに続く余震に加え、多くの関係者が被災していること、基幹産業の漁業が壊滅状態なため、就業先が無くなってしまったのが大きな問題となっていた。
中心部に近い地区の少し高台にある避難所、宮古小学校では、一時は400人以上いた避難者も、現在43名となり、まもなく仮設住宅などへの移転も進められようとしていた。市内の仮設住宅は、まとまった土地が確保できないことから市内に点在する児童公園への建設が進められている。
一方、子ども達の遊び場が失われ、がっかりしている子どもが多くいるとのこと。近くの空き地でいつものようにキャッチボールしていた子どもが、避難者の車にボールを当ててしまい叱られるなど、切ない思いをしたという話しもあった。少ない遊具を活用した遊び方の情報支援なども必要かもしれない。

被災地写真9

児童公園に建設された仮設住宅

「わかたけ学園」
市街地から離れ、山間部に位置する知的障害者施設(利用定員120名)

特に障害者の就労の場やグループホームなどが被災したため、自立生活を送っていた人々が、避難的に福祉施設での生活に戻っているが、これらの方々の将来の生活が見えなくなっているのが、課題になっているとのこと。
特に市内で自立生活を送っていた方々のメンタルヘルスの課題が大きくなってきている(この春グループホームへの移行を楽しみにしていた利用者が無期延期になりがっかりしているなど)。しかし多くの利用者は前向きに生きようとしていて、「かえって支援者側が救われる」と言うお話しもあった。
教育機関と福祉支援とともに、就労に関する支援の情報についても重要な課題と考えられる。

被災地写真10

わかたけ学園

山田町
この地区も、壊滅状態で、現在も避難生活を余儀なくされている状態が続いた。がれきの撤去も、宮古市内と比べるとまだかなり遅れている。この地区にあった知的障害者施設「はまなす学園」が、施設ごと流失したため、高台にある陸中海岸ホテルに避難している(施設利用者38名、ケアホームなどからの避難者10名、職員24名が避難中)。

被災地写真11
施設の避難場所となっているホテル陸中海岸

被災地写真12

左上にホテルの屋根、右下が山田市街の広がっていた海岸

現在三箇所目の避難先ということで施設長によれば、「これまで何か支援の必要は?と聞かれても特に思いつかない状態だった。最近になって何故かと考えたところ食糧事情も含め、あまりにひどい状況だったので、すべてが贅沢に思えてしまうのではないかと思うようになったのではないか」とのことであった。
被災された方々に支援ニーズを伺うと、「今のところ大丈夫」という回答が帰ってくることが多いが、この
ような心のプロセスがあることを理解して、支援内容の例示や過去の例などを示しながら、具体的なイメージを持てるようにすることで、本当のニーズが現れてくるのではないかと思われる。
特にレクリエーションなどの「わがまま、贅沢なのでは」と思ってしまうような活動については、なおさらなのではないかと思われた。被災された障害のある方や福祉施設の方々の気持ちを理解する上で、参考になろう。

釜石市
比較的大きな市街地の街の半分が流され、がれきの撤去もまだ進んでいない様子。やっと仮設住宅の建設が始まり、組み立てを行っていた。

被災地写真13
がれきの山が続いている釜石市内

被災地写真14
仮設の建設が始まった少し高台にある地区


多くの学校、教育機関が被災し、特に僻地・小規模地域の特別な教育的ニーズを持つ児童生徒の支援については、人材育成、教材、情報ニーズいずれについても、今後の大きな課題であることがうかがわれた。
現在は、未だ住居や学習の場所の確保に追われている状況であるが、僻地・小規模校への教育支援情報を含め、本学のプロジェクトによる取り組みであられる情報は、被災地の教育的支援に対しても、有効な情報を提供できるものと思われる。

 



註)
聞き取りにあたっては、フラッシュバックのリスクや興味本位の質問にならないようにするため、被災時の様子についてはこちらからは聞かないよう心がけ、「どのような支援があれば、よりよくなるか」という将来的な支援ニーズの観点に絞って伺うよう留意した。

下記から、本ページをPDFファイル化したものをダウンロードできます。
被災地域のニーズ調査.pdf


北海道教育大学 札幌校 安井 友康