日誌

日誌

SGHベルリン

Stahnfordで開かれていた車いすバスケットのリーグ戦に行き観戦。
なつかしいSGHベルリンチームの皆さんに挨拶、コーチ・新会長のシュミットさんに


夜はグードルン先生とベルリンチームで懇親
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ドイツへの報告


ヤーヌシュコルチャック支援学校のベックマン校長に著書を手渡し


キビナン職業学校では、新聞に載せるとのことで、校長も一緒に記念写真

そのほかリンデン支援学校でも新聞記者のインタビューの後タム校長、ペーター先生とと記念写真を撮りましたが、うっかりもらうのをわすれてしまったので後で送ってもらいたいと思います。
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walking




昨年の後半から新しく始まったシュパス・ブスのウォーキンググループの活動に参加


勝手にこんなものもお渡ししてしまいました
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ロンドン・パラリンピックから

ロンドン・パラリンピックから

今回は、長野パラリンピックから、夏冬合わせて通算6回目のパラリンピックの現地視察調査でしたが、とにかく、イングランドの観客の数と、その”質の高さ”に驚かされたというのが、もっとも強い印象です。

以前は、“障害者のスポーツ”などを観戦する人はあまりおらず、どの競技も観客がまばら、チケットなどもばらまくように配られていたというのが実情でした。ところが前回北京大会くらいから、事情が大きく変わり、チケットはほとんど手に入らない位の人気になってきました。

さらに北京大会の際は、あまりポピュラーでない競技では、いわゆる動員されてきている観客もいて、観戦マナーの問題も指摘されていたのですが、今回はそのようなこともなく、観客の熱気のこもった応援に、しみじみ「スポーツのおもしろさは、観客と選手の共同作業で作られる」と言うことを実感させられました。“障害者”がやっているかどうかは関係なく、“本物”の競技は、人を引きつける力があり、そして人びとを魅了するのです。

言い換えると”障害者スポーツ”としてではなく、観戦を楽しむという“文化としてのスポーツ”と、とらえてられるようになったといったらよいかもしれません。単に自国チームの応援をするのではなく、良いプレーや、ゲームの面白さを楽しもうとするその姿勢には、これからの在り方が示されたような気がしました。日本では、このような競技を目にする機会が少ないために、その本当の素晴らしさ(おもしろさ?)に、触れる機会が無いというのは残念なことです。

さて日本の選手も非常にがんばっていて、その活躍には心打たれるものがありました。一方オリンピック(金7個、国別11位)に比べ、そのメダル獲得の少なさが際立った大会(金メダル5個、国別24位)でもありました(右表参照)。もちろんメダル獲得だけが、大切なことではありませんが、この結果は「国としてのあり方が端的に表された」ものであることを、日本では認識すらされていないことが大きな問題といえるのではないかと思います。

要因としては、国としての支援の少なさとともに、一部マスコミでも指摘されているように、日本の選手の世代交代が進んでいないということもあげられます。学校でせっかく体験したスポーツを、卒業後に続ける環境が整備されていないのです。教育と福祉の連携のもとに地域で余暇やスポーツを継続するための、制度や社会に対する国民の関心も低いのが現状です。障害者(選手)に“がんばれ”というだけではなく、国としての取り組みの遅れが、まさにメダル獲得という結果となって示されたと言うことを、私たち多くの国民が認識すべきではないかと、つくづく考えさせられました。

教育(学校)と地域スポーツの連携や福祉支援制度との関係調整などの課題が、「メダル獲得数」という数字になって現れてしまったということ、さらにそのことに、ほとんど国民の関心が向いていないという二重の課題に対し、教育に関わる私たちがやるべきことは何か。今後取り組むべき課題は、多いようです。

組合ニュース2012年度第3号 2012924
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-スポーツの祭典:パラリンピックに想いをはせて-

コラム ■■                   
 -スポーツの祭典:パラリンピックに想いをはせて-
http://www.hokkyodai.ac.jp/intro/public/mailmagazine_backnumber/ezine010.html

北海道教育大学メールマガジン     
 第10号 2012.09.04配信
実は元の文章は以下のようなものでした。主な読者の対象が高校生ということで、編集者の方で少々毒気を抜いた文章にして掲載したようです。


 私は今、ASAPE(アジア障害者体育・スポーツ学会)への参加のため、香港に来ています。高齢化や人権意識の高まりとともに、アジアの発展途上国も含め、世界の目は障害者の生活向上に関する研究に向けられようとしています。特に2006年に国連が採択した「障害者の権利条約」以降、世界各国が条約の批准(国際的なルールを国として確認・同意すること)が進められる中、レジャー、レクリエーションやスポーツなどを含めた障害者等のあらゆるレベルの社会参加を進めるための方策が検討されようとしています。


 


 この条約については、20128月現在では、世界118ヶ国が批准している一方で、日本は国連採択から6年が経過した今日でも、未批准のままです。批准のためには、様々な法整備が必要で、制度が複雑な日本は、その改正などに時間がかかっているという事情があります。しかし、国民の障害者に関する意識の問題も大きいのではないかと感じています。


 


 日本ではまだ、「障害は特別なもので、それに関係するのは特定の人たち」と言う意識が強いのではないでしょうか。しかし、世界の多くの国々では、「社会にある障壁(バリア)」ととらえ、いつでも、誰にでも生じるものとして、人々の意識改革や社会整備が進められようとしています。学校教育の場はもちろんのこと、「障害者を含めた社会が、当たり前の社会」と言う認識を、全ての国民が共有する社会作りが求められていると思います。


 


 このメルマガが配信される9月上旬は、ちょうど障害者のスポーツの祭典パラリンピック(829日~99日開催)がロンドンで開かれており、私もロンドンにいる頃です。すでに国際オリンピック委員会と国際パラリンピック委員会は統合され、組織上も一体となるなどの統合化が進んでいます。しかし、オリンピックに熱狂した多くの国民も、「せいぜいオリンピックの真似事をしたお遊び」程度にとらえていることが多く、あまり関心が示されないままとなってきました。しかし実は全くの別物で、パラリンピックでは、人間の隠された能力開発や、各国のテクノロジーの粋を集めた高次元の戦いが繰り広げられているのです。


 


 その意味では、医療や工学技術、身体トレーニングにリハビリテーションといった、まさに「世界の最先端研究」の戦いの場でもあります。そんな裏事情を含め、もっともっと関心が向けられて良いと思っています。


 


 香港の暑さと、学生の熱気などを身近に感じながら、そんな障害者の身体やスポーツの研究に関する世界の“熱い想い”に思いをはせています。【2012.8.12作成】


 


※障害の「害」の字については、「障がい」と表記する動きもありますが、表記変更に関する議論が尽くされていないこと(根拠が明確ではないのに、安易な表記変更を行うのは問題の本質をそらすことになるということも)、障害者基本法を始め学術団体では障害の表記が使われていることから、「障害」を用いています。


(札幌校 特別支援教育専攻 教授 安井友康)


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1mを割りました



庭先の雪がやっと1mを割りました。
それにしても、近所中、植木はボキボキ。
今年は雪囲いの効果もあまりなかったようで。。。
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4月だというのに、岩見沢市内はさらに雪が積もりました。
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伊達遠征

15-16日、ゼミ生と伊達の福祉施設を訪問しました。


何故か右端で半分になっている私。。

夜は白崎先生のお宅で人生勉強?

今年もお世話になりました!!
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