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発達支援Q&A

発達支援Q&A

質問その20 シンプルに考えられない場合は?

Q 私の考えはシンプルな考えとはいえません。設問から様々な問題・条件・状況を考えてしまいます。どうしたらいいでしょうか。

 

A 様々な問題・条件・状況が思い浮かぶことは、あなたの長所ですから自己否定する必要はないです。

 ただ、分析的に考える方法は、時間が十分にある時には有効な方法ですが、“今、この場”で解決しなければならない時には、不利な考え方になります。

 なので、子どもと会っていない時に、シュミレーションしておくことが重要です。

 事前にシュミレーションしておけば、その状況になった時に、おそらく自然と対応できるようになると思います。

 その子どもと会っていない時にこそ、分析的な能力をフルに活用されてはどうでしょうか。

 直感で対応できないため、若いうちはいろいろと失敗するかもしれませんが、長い目で見れば、色々な条件に対応ができ、体系的に指導できる先生になれるかもしれません。

 ぜひあなたの長所を生かしていってください。

質問その19 不確定な予定に対応するには?

Q 不確定な予定に対応できない方に、どのように対応したら良いでしょうか。

 

 A この世の中から不確定な状況をなくすことはできません。

 自閉症の方々も、ある程度不確定な状況に対応できるタフさと知恵を持たなければなりません。

 一朝一夕にできるようになるものではないので、普段の生活・学業において、その子どもが解決できる程度の難易度で不確定な状況を設定し、本人の力で解決する経験を幼児期から青年期にかけて積み重ねなければいけません。

  「パニックにさせないように」「不安を感じさせないために」などの理由から、スケジュール、手続き、配置等の環境要因を過度に固定化してしまうことは、不確定な要素に対しての心構えが育たない恐れもあり、その場合、社会に出る段階ではじめて問題が顕在化することもあります。

 「不確定さをなくそう」とするスタンスよりも、「環境を彼らに合わせて構造化しつつも、その子どもが自力で乗り越えられる程度の不確定さを常に環境の中に含んでおく」スタンスの方が、現実的であろうと思います。

 忙しい今の教育現場では、子どもの指導に対し試行錯誤する時間がないと言われます。

 子どもに合った難易度を見極めるための時間が確保しにくいのは確かです。

 まずは取り組みやすい課題から始めて、子どもの変化を見ながら、修正すべき点を見出し、次の課題に取り組むという作業を、計画的にコツコツとやっていくしかありません。

質問その18 板書の形式は?


Q 中学校では板書の形式を指定する先生としない先生がいると思いますが、どちらが有効だと思いますか。

 

A  自閉症の方の中には、二重課題が苦手な人が多くいます。

 板書しながら先生の話を聞くというのも、立派な二重課題です。両方同時に、が難しいのです。

 中学校では、板書したノートの提出が求められ、さらにはそれが評価の対象になることがありますね。

 そのことが、本人の負担になっている場合があります。

 内容をしっかり理解しているのであれば、板書の取り扱いは、生徒の実態に合わせて臨機応変でも良いのではないでしょうか?

 生徒が自分に合った勉強の方法を自覚しているときは、なおさらに勉強の形式まで押しつけないでほしいというのが、私からのお願いです。

質問その17 温度を伝えるには?


 Q お風呂の話(自分では熱い湯だと思ったが、一緒に入っていた人が平気そうだったので、無理をしてのぼせてしまった)がありましたが、水温を示すものがあれば、そうならずに済んだのでしょうか。

 

A 水温を示すだけでは足りないと思います。

 水温を示すものに、「ここからは熱い」
「ここからはぬるい」という世間一般の基準が記されていることが大切です。

 例えば「静かにしてください」の「静かに」や「ちょうどよい声の大きさで話しましょう」という時の「ちょうどよい」を考えてもわかると思いますが、「今、30デシベルです」とか「あなたの大きさは85デシベルです」と数字に置き換えられるだけでは、大きいのか小さいのか分からないですよね。


数字そのものには何も意味がないですから、その数字をどのように解釈すれば良いのか、解釈の例を示してあげるということが大切です。

質問その16  子どもと保護者の溝への対応とは?


Q 子どもと保護者との間に、指導に関して溝が生まれた場合、どのように対応していけばよいでしょうか。

 

A 子どもと親の溝は当然生じます。むしろ溝がある状態が普通だろうと思います。

 そのような場合の第三者の役割は、まずは両者の思いを通訳するというところから始めたら良いと思います。

 子どもの思いが親に伝わり、親の思いが子どもにわかるように翻訳されていないからこそ、溝ができるのだと私は考えています。

 ですから、親が見えていない子どもの思いを親側に丁寧に説明し、また子どもが見えていない親の思いを子ども側に丁寧に説明する、その通訳役としての役割を担っていくことが大事です。

 子どもと親の関係に白黒つけるような介入は、時に、親子関係のバランスをさらに崩してしまうことにもなりますので気を付けましょう。

 相談者は、時に、ダブルスタンダードにならざるを得ない時もありますが、通訳という
枠組みを守り、またその役割が親と子どもに認識されていれば、ダブルスタンダードな発言をしても、矛盾や転向と受け取られるリスクは少ないと思います。


「あなたは私たちの間にある溝を丁寧に埋めてくれる存在なのね」と、信頼してもらえるようになりましょう。

 また「私は教育の専門家ですから、私の判断が正しいのです」というような独善的なスタンスで介入すると、「私から見るとあなたは正しいが、あなたは間違っている」という裁判のようなものになってしまいます。

 人間関係は、因果関係で割り切れるものではありません。

 裁判官として人間関係を調整しようとすると、当面の問題については問題解決するかもしれませんが、親子関係のバランスが崩れたままの場合、将来、新たな課題に直面化したとき、親子の葛藤が容易に再燃する可能性があります。

質問その15  ヒントの出し方とは?


Q 塾で自閉症の子どもがいます。一度ヒントをあげたら、その後も毎回ヒントをもらいに来るようになり、自分で考えることをやめるようになってしまいました。どうしたらよかったのでしょうか

 

A あなたには「今日は特別だよ」という暗黙の了解があったということですね。

しかし、子どもにはこれが「特別なヒントだ」ということが分かる状況にあったのでしょうか。

「ヒントを出すことが、先生の指導のやり方なのだな」と勘違いされているのかもしれません。

 「どのような時にヒントを出すのか」ということを、しっかりその生徒に説明した上で、子どもの対応が変化するかどうか、様子を見てみましょう。

 例えば「私は普段ヒントを出しません。先週ヒントを出したのは~という理由があったからです」などとです。

質問その14 情報過多の意識状態とは?

 Q 情報過多の意識状態は身体面にも影響しますか?

 

A 当然影響します。

 沢山の刺激の処理に追い立てられている状態ですので、疲れやすかったり、集中力が続かなかったりする状態になります。

 大人になるまで自分が疲れていることを知らなかったと、相談の中でお話された方もいました。

 刺激に圧倒され、なおかつそれらを処理し続けるわけですから、自分の状態を客観的に把握する余裕もなく、限界が来るとバタッと倒れてしまう方もいるのです。

 自分の疲労を感じられるような支援、疲労を感じた時の身体のケアの仕方など、幼い頃から意識的に伝えておかないと、社会人になった時に苦労することになります。

質問その13 シンプルに考えるには?


 Q 先生の支援の解答例を見て意外とシンプルだと思いました。シンプルに考えるコツは何ですか。

 

A ASDの方は他者との経験共有が、成育歴を通してかなり少ないわけです。

 結果、私たちにとってみれば当たり前で、いちいち明示しないルールについて知らないことが多々あるんですね。

 それが原因で、周囲の人間との間に勘違いや誤解がおきトラブルに発展するわけです。

  学校で教育相談をしていると、自分に常識があると思っている先生ほど、ルールそのものが当然の前提になっていて、より高次で複雑な水準に原因を求めがちな印象があります。

 大事なことは、「もとをたどる」ことです。私たちが育てようとしている子どもたちは、これから発達をしようとしている子どもです。

 ですから、初めて学習をする子どもの気持ち、初めて社会集団に参加する子どもの気持ち、初めて新しい言葉を使う時の気持ちなど、あらゆる経験・学習の初期段階を想像し、シンプルな方向に考えていくクセをつけていけば、案外早く解決策が見つかるのではないでしょうか。

質問その12 部活動が辛くてやめたいときには?


 Q 自閉的な傾向をもつ人にとって、居やすい環境と居づらい環境があると思います。

 集団スポーツの部活動に所属する子どもが、「辛くてやめたい」と言った場合、引き止めないのが優しさなのでしょうか。


 

A 状況によりますね。本人が自分の特性を自覚した上で「僕には向いていない」と判断しているならば、無理に引き止めなくても良いと思います。

 自分の特性をどれぐらい認識し、かつ肯定的に受け止めているかによって、アドバイスの方向性や支援の方法は変わってくると思います。

 本人が「なぜ辛くなるのか」の原因について自覚していない場合には、私の場合、引き止める場合があります。

「なぜうまくいかないのか」を一緒に考え、本人が納得した上でやめる(もしくは続ける)という自己決定が大切だと思うからです。

 辛くてやめたがっていることに対し表面的に共感して、その後の展望も示さないままなのは、時に無責任な対応となってしまいます。

 過去、バスケットボール部に所属しているASDの高校生がいました。彼は自分が集団スポーツに向かないことを十分認識していました。

 例えば「(試合中に)相手の行動を予測することができないので、監督の作戦通りに動けない、だから試合に出してもらえない」と言うので、「やめたいの?」と聞いたところ、「僕はスタメンにはなれませんが、体を鍛えることが好きですし、バスケットボールが生活の中心になっているので、これからはバスケットボールを楽しむということに目的を切り替えて続けていきます」と言いました。

 自分の特性について知ることは、活動の意味を柔軟に切り替え、捉えるようになることに影響しているようです。

質問その11 国語の授業で困ることは?


 Q 国語の授業でも思考がフリーズすることがありますか?

 

A 文章題の読解問題に悩む自閉症スペクトラム障害(ASD)の子どもは沢山います。

 日常生活において相手の気持ちを考えるのと同じように登場人物の心情を推測することは難しいからです。

 「登場人物の心情を推測しなさい」というような問題は、答えが論理的に導き出せないので、最も不得意な課題になる場合があります。

  
 例えば「たぬきさんの気持ちを答えてみよう」という問いに対し、「たぬきに聞いてみなければ分からないものを、たぬきではない自分が答えることはできない」という厳密な態度が、ASDの方々の基本スタンスのように思います。


 以前、あるASDの小学生に「たぬきの気持ちを答えてみようとあるけれど、問題の作成者は、たぬきの気持ちというよりも、たぬきの気持ちになっているあなたの気持ちを聞いているんだよ」と説明をしました。

 その子どもは「そんな事はどこにも書いていない」と言いましたが、テストの際に、実際にそのように解答したところ丸をもらえたことで、納得することができた例がありました。

 また、あるASDの中学生には大学生と一緒に、読解問題を解く練習を繰り返すことで、「人によって解答の中身が違うが、共通項があり、それを答えると正解になる」というように、解答のコツが分かるようになっていきました。

 このことは、国語の読解問題を通して、自己の考え方の普遍性と独自性を理解する、いわば自己理解を促している側面があることがわかります。

質問その10 形容詞や副詞は苦手?

Q 「少なめ」「多め」「長い」「短い」など自己の概念で判断するものがあり、他者と食い違うので、言葉を正確に読み取るASDの子は苦手なのではないでしょうか。

 

A 形容詞や副詞のニュアンスは非常に理解しにくいと思います。

 例えば「ちょっと待ってね」の「ちょっと」は、状況や人によって違いがあるからです。ASDの子には難しいので、「ちょっと」の部分を具体的に指示・説明してあげてください。

 具体的な説明を繰り返し受けているうちに、少しずつですが語用法を獲得していくと思います。

 たとえ場面限定的な獲得の仕方であっても、それはそれで大きな進歩だと私は考えています。

質問その9 図画工作の説明の仕方(2)


Q 図工の際、自分の作図と作品がうまく一致しないときに、自閉症の子はどのような反応を見せるのですか。またどのようにフォローすれば良いですか。

 

A 先生がはじめから完璧な結果、つまり優秀な作品をモデルとして見せてしまった場合には、自分が作成した作品と、モデルとの差が大きすぎるので、早々に落胆してしまうことになります。

 彼らは「ちょっとの失敗も許せない人」との烙印をおされて、段々と図工から離れざるを得ないことになってしまいます。なるべく現実と理想の差分を小さくしてあげれば、「乗り越えられるだろう」という予感を高めることができるかもしれません。

 私が以前行ったことを例としてあげましょう。

「あなたたちは、これから七宝焼きを作ります。小さなペンダントに絵を描くのは大変難しいことです。上手に描けるというのはこれくらいだとAランク、ちょっと下手だとこのBランク、もう少し下手だとこのCランクになるでしょう」というふうに、その子ども達の能力に応じて、それぞれに相応したモデルを複数提示しました。

 次に、制作に入る前に「自分は何ランクだと思いますか」と予測させました。そうすると子ども達はわりと正確に、自分の実力に応じてランクを選んでいました。

最初の目標設定が実力に相応したものであれば、途中で投げ出す子が少なくなることにも気づきました。

  つまり、工作に限らず、自閉症の子がちょっとの失敗にくじけたり、一番じゃなければ許せないというのは、大人が理想像しか伝えていないことが大きな要因だと、私は考えています。

上達するプロセスには、色々な段階があり、しかもそれぞれの段階は個性として受け入れられるものだということが、保証されていない環境では、「やっぱり先生と同じくらい上手に作れない、自分はダメだ」と思ってしまうんですね。

子どもの能力からかけ離れたモデルは、子どもに無言のプレッシャーを与えているんだろうと思います。

質問その8 図画工作の説明の仕方とは?

 Q (図画工作の時間に)「お花を作りましょう」と紙と鉛筆を渡したら、自閉症の子に「紙や鉛筆ではお花は作れません」と言われ、活動に入るのが難しかったです。どのように説明すればよかったのでしょうか。


 

A 簡単なのは、紙で作ったお花(完成品)を見せるだけで良いと思います。

本当のお花を、紙で作れと言っているのではなく、紙を材料に紙のお花を作りましょう、と暗黙の事実を伝えるだけで良いのだと思います。

質問その7 怒るときの怒り方とは?


Q アスペルガーの人が失礼なことを言った時、怒ってはいけないのですか。


A 怒っても良いと思います。同じ人間同士ですから。
 ただ分かってもらうためには、伝え方に工夫が必要です。

 例えば、「表情で分かってくれない時は、言葉でしっかり伝える」というように、伝える手段を切り替えて対応してほしいということです。

 怒鳴られた時、アスペルガーの人の中には、なぜ怒っているのか理解できないまま混乱し、「なぜ大きな声を出しているのだろう」などと、表面的な行動しか把握できない人も多いからです。

 そういう時こそ冷静になって、「あなたの言動は、私を非常に不快にさせました。そうではなくて、○○という表現であれば、私は理解できるし不快にならないのですが、言い直してくれないでしょうか」というように、理性的に言葉で交渉することが大事です。

 自閉症の方が何を手がかりに相手の心を理解しようとしているのかをまず理解しましょう。相手が理解できる表現を使えるのであれば、怒っても問題はありません。

質問その6 怒らせてしまった時の対応は?


 Q ASDの人が怒った時にはどうしたら良いですか。


 A
 「ごめんなさい」と謝る時に、我々が示している表情や態度といった
  ノンバーバルな情報がうまく読み取れない方もいるので、そういう時
  には言葉で気持ちを伝えてほしいです。

 「私があなたを不快にさせたのは~だからですね。私は、今反省しています。
 今後はあなたに対してこのような行動をとらないことをお約束します。」という
 ように、暗黙にある情報をきちんと言語で補足して謝ってほしいです。

質問その5 困っていない当事者には?


Q 困っていない当事者にはどうすればいいですか。


A 年齢が低ければ、自分の状態を自分で自覚するのは難しいので、幼児期・学齢期においては基本的に、自分の問題に気づかずに困っていると考えてほしいです。

 そのような子に、ただ単に診断名を伝えることは有効な支援にはなりにくいと思います。

 大事な点は、教師側が「現段階で本人は困っていることを意識化していないが、この先、困るのだろうな」という予測が成り立つなら、先回りして支援をしてほしいです。

 そして、信頼関係ができたところで、少しずつ支援を減らしてみると「なんだか、最近、うまくいかないな」と子どもが感じ始めます。

 信頼関係があれば、先生に相談や何らかのサインがあるので、その時に「実は先生は、○○について支援をしてきたのだけれど、最近、○○君は自分で解決できるようになってきていたので、支援を弱めていたんだ。困っていることを意識化できたことはえらいね。どうやって解決できるか、先生と一緒に考えてみよう」と提案するといいと思います。

 繰り返しますが、困っていない当事者に「あなたは困ってる」と訴えても意味がないです。子どもにはまず支援が行われていることが前提です。

 うまくいっている状態をまず体験させ、徐々に支援を減らしていき、本人に気づきをうながすことが大事なのです。

質問その4 どの子も楽しく受けられる授業とは?

Q 程度にもよるが、自閉症の子のために授業を作るには、新たな情報以外はいつも同じであった方が良いと授業でおっしゃっていたが、普通の子はいつも同じだと飽きてしまうと思うので、自閉症の子と通常の子が同じ教室でどちらも楽しく受けられる授業はあるのでしょうか。


A 質問にある「いつも同じ」つまりパターンやルーティンは子どもを飽きさせるのではないかという点についてですが、私は、今の学校はルーティンが少なく、不安になっている子どもが多いのではないかと逆に心配しています。

 昔に比べ先生方の授業スキルも向上していると私は思っていますし、使える教材・教具も豊富化、高度化しています。
 
 しかしながら、毎回趣向をこらして授業をすることによって、一時的には子どもの注目は引きつけることはできますが、長続きしませんし、本当に身につけなければならないことは実際は単調で反復的な作業を伴うものなので、おろそかになってしまうのではないでしょうか。
 
 授業は、お祭りのようなイベントではないと私は思います。学びにはたしかにワクワクやドキドキは必要ですが、それはきっかけに過ぎず、むしろそこから本当の学びが始まるのです。学びの大半は、昨日よりも今日、今日よりも明日という小さな自分の進歩が見えるような環境において行われるものなのではないでしょうか。

 子どもが頑張ろうとする動機は、好奇心ばかりではないのです。「できた」「わかった」という確かな感覚が重要なのではないでしょうか?

 子どもたちが自分自身の進歩に気づくためには、いつもやっている、当たり前のルーティン作業(ある程度安定した環境)が必要だと私は考えます。

 目新しい教材・趣向を凝らした台本ばかりでは、子供たちは自分の位置を客観視することが難しくなります。なぜなら変化の多い授業の連続では、基準が不明確になってしまうからです。

  大事なことは、身につけなければならない「アカデミックスキル」「考え方」を、大人が責任を持って明示的に教えること、「アカデミックスキル」「考え方」について子どもが思う存分に試行錯誤できる時間を保証してあげることです。

 もし子どもが飽きてきたら、そのうち子どもの方から「新しいことをしてほしい」と要望が出てくるはずです。それが新たな展開の時期なのではないでしょうか。若い先生や経験の少ない先生は、子どもの注意を何とか引きつけたくて、イベント的な授業をやってしまう傾向があると思います。

 ついでに申しますが、発達障害の子だけが授業に不適応を起こしているのではないのです。そういうクラスでは、学力が平均以下の子ども達も、実は、基礎学力が伸びなくて困っていることが多いのです。

 発達障害の子供たちは、一番最初にその環境に適応できなくなってしまうことが多いので、目立っているだけなんですね。
 
 つまり発達障害の子に合わせた授業というのは、特殊な授業なのではなく、誰もが自分の手持ちの力を使って取り組める主体的な授業にするということなのです。

質問その3 情報過多への有効な方法とは?


 Q 会話という場面が自閉症の子にとって、情報過多ならば、手紙やメールなどの平面媒体が有効ではないでしょうか。


A その通りです。手紙・メールでの対話は当事者に有効な方法だと思います。

 会話だと、言葉や表現が省略されてしまうことがありますし、発せられた言葉はすぐに消えてしまいます。

 その点、手紙やメールは、論理的な文章を時間をかけて書くことができますし、何度も繰り返し読むことができます。

質問その2 自閉症の人と話すスピードは?


Q 自閉症の人と話す時のスピードはどのくらいが良いですか。

 

A スピードの問題より、どのくらい単語や句の間にポーズを置くのかという問題の方が大事だと思います。

 自閉症の問題点は言葉と言葉の関係を理解するまでに、大変時間がかかることです。

 そのため、複雑な文章で、なおかつ長い文章だと、その文章をどのように解釈すればいいのか、頭の中で整理するまでに時間がかかるのです。

 そこで、単語や句など一番小さな意味的なまとまりを、一回投げかけてみて、それを相手が理解したと了解できてから、次の単語や句をつなげてあげるといいです。

 意味の単位を少し小さめにしてあげること、言葉と言葉の間にたっぷりと間を設けて、推論する時間を確保することで、だいぶ理解しやすくなると思います。

質問その1 教師の説明の仕方は?

Q 学級内での教師の説明の仕方は。

A 自閉症についての講義をしても、クラスメートの「関わる力」は
身につかないでしょう。それよりも、先生がその子と仲良くつきあっている様子を普段から見せていれば、自然にまわりの子たちもまねをします。

学級運営がうまくいっていない時というのは、担任の先生自身がその子を理解できず、対応にあたふたしている場合が多いです。

 先生がその子と上手に付き合えていると、何か問題が起こっても、
 クラスの子たちは先生と同じアプローチで接することができるように
 なります。

 例えば、その子が怒り出した時に、先生が理由を説明し、子供の気持ちを言葉にしながらなだめているうちに、落ち着いていく様を見ているクラスメートは、数ヶ月すると「あんな風にこの子と関わればいいのだ」というふうに、先生と同じ方法でアプローチする子が増えてきます。

 つまり、先生の理解が的確であることや先生が普段からその子と仲の良い関係にあることが大事ということです。